ブックタイトル武居先生特別号

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概要

武居先生特別号

Page 4特別号令和4年8月発行武居先生を悼む伊藤内科小児科クリニック伊藤眞一●先生と僕は昭和19年生まれと同級生今年77歳です。僕は開業の側武蔵野日赤の内科非常勤医師として42年間現在も勤めております。先生が日赤在籍の時はいつの頃からか内科と小児科と科こそ違いますが、同じ糖尿病を専門にしていたことから特に親しくさせていただきました。●それ以上に僕にとって大切なことは僕の一人娘が生まれてからずっと娘の主治医をお願いしたことです。医師である自分も一人娘にはとって全く頼りない父です。不安になると娘のことについて例え深夜でもすぐに電話させていただきました。武居先生はただただ優しくも接するだけでなくある時は厳しく接していただきました。頼りない父親の僕を叱咤激励していただきホッとして眠りについたことをつい先日のことのように思い出されます。●武居先生が開業してからは僕の不得意な感染についてちょっとでも疑問を持つとすぐに先生にお電話して色々教えていただきました。インフルエンザ今はコロナについて最も頼りになる相談相手の同級生でした。●今年3月18日武居先生が危篤と菅野先生から連絡がありました。しかし数日後武居先生の持ち前の気力で[自宅に帰ることになった]と明るい声で先生から直接電話をいただきました。よかったと涙がとまりませんでした。また二人で相談し合える!ところがその直後菅野先生からーーーーー同級生として武居先生が果たすことができなかった何かを、僕は残されたものとして得、僕もそちらに行ったら武居先生にお渡しする覚悟です。●明日その娘の誕生日です。●合掌武居正郎先生へ慶應義塾大学医学部腎臓内分泌代謝内科専任講師伊藤新1型糖尿病患者として、そして同業の糖尿病を専門とする医師もやっている私は誰よりも先生に御恩を受けた人間だと自負しております。発症して入院した小学4年生の夏、東邦大学大橋病院小児科病棟のベッドサイドに会いに来てくださったあの日から約30年間、私の人生の8割近くもの長い間、私だけでなく両親や家族をもお導きくださりました。挙げればきりがないのですが、例えば、当時サマーキャンプ長もされており、18歳の現役や医学部卒業するまで毎年参加いたしました。医療業界と全く縁のない一族でしたが毎月先生と会うことで医師になりたいと思うようになりました。たまたま親父が代理受診したときに内部進学の制度がある慶應を薦めてくださったおかげで、我が家の家族会議で親父から慶應に行けと言われたことは人生の最大のターニングポイントでした。先生が開業されたときに診療所に呼んでいただいて中をご案内いただいたときに、椅子のない待合室や床暖房やA1cがすぐ出る機器を嬉しそうに自慢していたこと、武蔵野日赤の研修医時代に小児科研修で先生の診療所で研修したときに、注射の名人として患者さんに紹介してくださったり、診療所の朝の掃除や昼休憩のときの雰囲気などをよく覚えております。医師として患者に向けての言葉をお聞かせいただくだけでなく、先生の経歴やご家族ができるころの話や、(昭和時代の)医師の働き方の話、ご自身の体調のお話もたくさん聞かせていただきました。先生の医院で開かれたお別れ会では先生が使っていた赤い聴診器をいただいてきました。見るたびに先生に教えていただいたことを思い出しながらこれからも全力で職務を全うしたいと思います。先生の患者になって32年目伊藤新臨床糖尿病支援ネットワーク