ブックタイトル会報2022年5月

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会報2022年5月

Page 4第227号令和4年5月発行役員交代のご挨拶[代表理事]杏林大学/近藤医院近藤琢磨このたび、臨床糖尿病支援ネットワークの代表理事を拝命しました、杏林大学医学部糖尿病・内分泌・代謝内科/医療法人社団糖和会近藤医院の近藤琢磨と申します。当法人の「大黒柱」であった貴田岡正史先生の後を引き受けさせていただくことになり、大変、身の引き締まる思いです。一方で、新型コロナ感染拡大への対策に追われながらも、創意と工夫で独自の活動を維持してきた本法人の、今後の活動に深く携わることを喜ばしく感じます。就任の挨拶に際し、この場を借りて、少し長くなりますが改めまして自己紹介をさせていただきます。私は、都内の高校を卒業し、浪人生活を経て、ある種の夢と希望を抱いて(松山千春とドラマ北の国からの影響が大きかっただけかもしれませんが)北海道の地に渡りました。当時医学部の同期のうち、北海道外(あちらでは、内地、と呼びます)からの出身者が7割以上だったと記憶しています。学内外でいろいろな言葉(方言)や考え方に出会うたびに多少驚きもありましたが、今で言うdiversityを肌で感じながら充実した学生時代を過ごしました。今振り返ると、自分の原点はその頃にあると感じています。卒業後、北海道大学の第二内科に入局し、そこで糖尿病に初めて触れることとなりました。当時は持効型や超速効型といったインスリンアナログ製剤はまだなく、NPH製剤や速効型インスリン、それらの混合型インスリンを使っていました。内服薬ではSU薬と、乳酸アシドーシスに注意して使うよう言われていたビグアナイド薬、発売されたばかりのαグルコシダーゼ阻害薬しかなく、今思うと隔世の感があります。ちょうどその頃、糖尿病教育入院プログラムの開始に携われたこと、そのプログラムに院内で働く多職種の方々に参加していただき、教育入院患者さんを媒介にした検討会議が誕生したことで、初めて多職種による糖尿病チーム医療を経験することができました。さらに、1型糖尿病の患者さんに対するCSII療法を数多く経験させていただきました。当初は手動で基礎レートを変えなくてはならなかったことを考えると、基礎レートが自動的に調節される今の最新のインスリンポンプを手にすると、糖尿病治療のデバイス進歩には驚きを隠せません。2003年から3年間、米国マサチューセッツ州ボストンにあるJoslin糖尿病センターに留学しました。世界中から集まった糖尿病研究者と日々触れ合う環境の中で、糖尿病研究の重要性を改めて認識しました。また、日本中に「糖尿病の仲間」が出来たことは、今の自分の支えとなっています。糖尿病サマーキャンプに初めて参加したのもその時でした。1週間、メンターの小児糖尿病専門医師の下につき、子供達からいろいろなことを教えてもらいました。帰国後も北海道つぼみの会のサマーキャンプに毎年参加させてもらうようになったのもその影響が大きかったと思います。2014年、一大決心のもと家族共々東京に戻って(家族にとっては東京に移住して)きました。亡き父のあとを継ぎ実家のクリニックで勤務できることを今は光栄に思います。また、前身である西東京臨床糖尿病研究会の発足に際し伊藤眞一先生とともに当方の実父が携わった縁で、NPO法人の時代から臨床糖尿病支援ネットワークの活動に参加させていただいたお陰で、地域の先生方から多くのご助力をいただきました。2015年からは当時の石田均教授の御高配により、杏林大学医学部糖尿病・内分泌・代謝内科学教室に活動の場をいただきました、院内には、当法人で活躍するたくさんのCDEの方に、日頃から支えていただいていることを実感しています。また、現在の安田和基教授には、当法人の活動も含めて常に支えていただいております。長々と自己紹介にお付き合いいただきましたが、「対話と協調」、「創意と工夫」、「温故知新」というこれまで長年培ってきた座右の銘を、今後も実践して参りたいと存じます。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。臨床糖尿病支援ネットワーク