ブックタイトル植木先生特別号

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概要

植木先生特別号

特別号令和4年3月発行Page 5人生の師との突然の別れ東京医科大学八王子医療センター大野敦当法人業務執行理事の植木彬夫先生は2021年10月19日の朝に脳出血で倒れて闘病されておりましたが、11月28日に逝去されました。安らかな眠りにつかれますよう、お祈り申し上げます。人生の師としてご指導いただきました先生との思い出を語ることで、追悼の言葉とさせていただきます。先生との出会いは、1977年に東京医科大学に入学後「社会医学研究会」に入部し、長野県浪合村【当時は無医村、現在は飯田市に統合】で家庭訪問と住民健診を行っていた夏合宿です。OBではなかったのですが、OBの友人としてわざわざ健診の手伝いに何度か来ていただきました。1983年に卒業して東京医大内科学第三講座に入局すると先生がおられ、1984~85年の市立根室病院への出張時には激励に来ていただき、1988年~1991年の総合新川橋病院に出張時には数多くの臨床研究のサポート、ライフワークである「糖尿病患者の内科・眼科連携への取り組み」のきっかけを貰いました。1992年から八王子医療センターに赴任されると、学生時代から地域医療に興味のあった私を誘っていただき、1993~2007年に直接の上司としてご指導いただきました。その範囲は院内にとどまらず、西東京臨床糖尿病研究会の時代から八王子糖尿病ネットワーク(HADNet)・糖尿病治療多摩懇話会等の様々な活動で地域医療に貢献するとともに、人材育成ならびに学会を通じての情報発信の重要性を学びました。2007年から八王子医療センター糖尿病・内分泌・代謝内科の科長を引き継ぎましたが、人を引き付ける全人的な魅力だけは真似ができず、亡くなられて先生との思い出を語られる多くの関係者の言葉から改めてその偉大な功績を実感しております。残された者はそれを少しでも引き継げればと思いますので、天国から見守ってください。長い間本当にありがとうございました。植木先生!これからもご指導、お願い申し上げますHECサイエンスクリニック調進一郎1985年:東京医大第三内科に入局した時、先生は医局長でした。右も左もわからないボクに色々笑顔で教えてくれました。1987年:大船中央病院に出向中、学会発表準備のために先生の自宅に伺いました。奥様にはお食事までごちそうになりました。奥様とはご家族で上高地に行く時もご一緒させていただいたのも楽しい思い出の一つです。その後、先生は私の学位のための実験も夜遅くまで指導してくださいました。1992年:八王子医療センターに出向し歓迎会を開いていただいた夜、先生とまた仕事ができるのがうれしいと泣きました。そして、「先生には“はい”か“yes”のどちらかしか言いません!」と誓いました。2004年:新川橋病院に赴任し、「いちょうの会」という患者会を作りました。八王子医療センターの友の会は「ぎんなんの会」です。「“ぎんなん”も“いちょう”も漢字で書けば“銀杏”。先生に教わったことを川崎の地でも実践したいので、“いちょうの会”と名付けさせてください」と先生にお願いし、名付け親になっていただきました。2013年:先生が八王子医療センター教授退任を機に現在のサイエンスクリニックに週1コマの外来をお願いしました。また、一緒に診療できて楽しかったです。2021年:先生のお通夜に伺いしましたが、棺の中のお顔には手を合わせずに失礼させていただきました。先生とお別れするつもりはないからです。「どんな事でも全力で取り組めば何事も楽しくなるんだよ」という先生の教えを忘れずに頑張ります。植木先生!これからもご指導、お願い申し上げます。臨床糖尿病支援ネットワーク