ブックタイトル植木先生特別号

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概要

植木先生特別号

Page 4特別号令和4年3月発行先生からたくさんのことを学びました医療法人ユスタヴィア理事長宮川髙一植木彬夫先生がご逝去されたことがいまだに信じられません。最後にお会いしたのは9月27日の研究会であったと思います。「日常診療におけるコロナ患者への対応」という演題で、本当に先生らしい患者さんへの愛情のこもった、そしてコロナ禍での医療人の心構えを教えていただいた素晴らしいご講演をだったと記憶しています。その後はコロナ禍で直接お会いすることができませんでしたが、オンラインの講演が多く、毎週のように座長か、講演者でお話ししていたと思います。急にお話しできなくなったことがまだ現実として受け止めきれないでいます。先生に最初にお会いしたのは、1992年だったと思います。先生が東京医大八王子医療センターに赴任された時でした。当時は故近藤甲斐夫先生、伊藤眞一先生のもとに西東京臨床糖尿病研究会がつくられて、6年目の頃でした。国分寺に当時あった「格さん助さん」という店で毎回世話人会があり、研究会の発展方向など激論を交わしていた発展の時期でした。その時先生が「医療連携」や「メディカルスタッフへの教育」に深い造詣と熱意を持たれていることに心を打たれました。「本当に大学の先生?すごい臨床家だ!」というのが率直な感想でした。私は先生から「患者さんの見方」から「医療連携の在り方」「臨床研究の方法論」ひいては「コロナ禍における医療人の役割」までたくさんのことを学びました。一般社団法人臨床糖尿病支援ネットワークがこれまで発展してきたのは貴田岡正史代表理事とともに、植木彬夫先生のご尽力が多大であったと思います。当法人には非常に大きな損失です。ご冥福をお祈りいたします。植木彬夫先生を偲んで高村内科クリニック高村宏植木先生の声が聞こえてこない外来でこの文章を書いています。植木先生が亡くなった後、多くの患者さんたちは先生を偲んで「よく話を聴いてくれた」とともに「よく話をしてくれた」とも述べています。先生が担当されていたある患者さんは、先生からご自身の故郷の話や自分の健康状態などプライベートな内容をもお聞きした。だから私は植木先生のことをよく知っていると。植木先生はその患者さんにとって特別な存在であったと言います。コントロールが旨くいかない、精神的な問題を抱えているといったことで私が困ってお願いした、その一人一人の患者さんにとって特別な存在になっていたのだと改めて知りました。隣の診察室から聞こえてくる植木先生の語り口は、どこか楽しそうで、時に父親のようで時に母親のようで、友人のようでもありました。今、植木先生から引き継いだ患者さんのカルテからは、その治療が個々にきめ細かく計画されていること、また患者さんに委ねた大胆なインスリン治療などもあり、改めて驚くとともに患者さんとの信頼関係の重要性を学ばせていただいています。一方院内勉強会でのレクチャー、西多摩医療圏での講演など、多岐にわたるテーマを我々の腑に落ちる内容で解説いただきました。医師、コメディカル、MRの分け隔てなく対応する姿は臨床に真摯に向かう植木先生そのものでした。コメディカルの学会発表に際しては、休日もいとわず熱心に指導されていた姿は忘れられません。先生の臨床での姿勢は我々の心に刻み込まれ、今後も生き続けると確信しています。先生には10年を超えて勤務いただきましたことに深謝するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。臨床糖尿病支援ネットワーク