ブックタイトル植木先生特別号
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植木先生特別号
特別号令和4年3月発行Page 1特別号~植木彬夫先生を偲ぶ~令和3年11月28日に享年74歳にて永眠されました植木彬夫先生を偲び、哀悼の意を表するものとして、ここに特別号を発行いたします。故植木彬夫先生を偲ぶ[当法人代表理事]イムス三芳総合病院貴田岡正史植木彬夫先生が西東京地域における糖尿病医療連携、人材育成、全国にむけての情報発信等の活動の中心的存在であったことは皆様が良く認識されている事実かと思います。私にとっても、永年にわたる活動の同志であり、ともに戦う戦友と言っても良い存在でした。私が公立昭和病院に赴任したのが1989年で、植木先生は1992年東京医科大学八王子医療センターに赴任されました。ともに西東京地域にその活動の拠点を構えることになりました。その後、国分寺南口駅前の古ぼけたビルの2階にあった「格さん助さん」という居酒屋(今はもう存在していません)の個室で開かれた西東京臨床糖尿病研究会世話人会でご一緒したのがともに活動することになった嚆矢と記憶しています。1999年には療養指導士の育成プログラムを開始、アンケートに基づいて平日の夜に2時間×10講義を実施しました。翌2000年にはCDEJと時を同じくして、12回に拡充して講義を行うとともに西東京糖尿病療養指導士の資格認定を始めました。この制度の開始にあたって公平性、透明性、継続性を担保するため法人化が必要ではないかと考え、検討を始めました。関係者による熱心な討論を重ねた結果、西東京臨床糖尿病研究会のNPO法人化が決まりました。この過程で植木先生のリーダーシップは極めて貴重なものでした。2002年のNPO設立時には副理事長の任につかれ、治験臨床研究関連事業として倫理委員会委員長、広報宣伝事業として広報委員会委員長、HP運営にと多方面でご活躍されました。間接事業として、西東京EBMを目指す糖尿病薬物療法研究会、糖尿病治療多摩懇話会、東京臨床糖尿病運動療法研究会、糖尿病と認知症研究会等を主催され広く全国に情報発信を行われました。2016年7月にNPO法人西東京臨床糖尿病研究会は一般社団法人臨床糖尿病支援ネットワークにその業務を引き継ぎ、活動を継続することになりました。植木先生は業務執行理事として認定委員会委員長、顕彰委員会委員長を担当されてご活躍されるとともに、上記の間接事業を共催事業として継続されました。また、「災害時糖尿病サバイバルマニュアル」や『糖尿病在宅患者の療養・介護支援ガイド「糖尿病を持つ人が在宅で健やかに暮らすために」』の企画、作成、編集の中心的存在としてご尽力されました。この両者ともに全国的に極めて評価の高いマニュアルとして活用されております。以上のように、植木先生の当法人におけるご活躍は多岐にわたり、その貢献度は比類無いものでした。しかもこの事は植木先生の広範囲にわたる御実績の極々一部に過ぎません。しかし、当法人にとっては、植木先生の果たされてきた役割を穴埋めすることは極めて困難な事と認識しております。当法人は、ちょうど世代交代の時期でもあり、次世代を担う人材に期待できる体制づくりが進行しております。植木先生とともに歩んできた世代の我々は、次世代へのバトンタッチに尽力することで当法人の継続性を担保してまいりたいと存じます。植木先生にも天上から暖かく見守っていただければと思います。合掌臨床糖尿病支援ネットワーク