ブックタイトル会報2019年5月191号

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会報2019年5月191号

第191号 令和元年5月発行 Page 1臨床糖尿病支援ネットワーク[当法人理事]医療法人社団ユスタヴィア宮川 高一 [医師]新元号に寄せて~これで時代が変わるわけではないが、30年前の医療を考えると...“mano a mano”とはスペイン語で“手から手へ”という意味です読んで単位を獲得しよう西東京糖尿病療養指導士(LCDE)は、更新のために5年間において50単位を取得する必要があります。本法人会員は、会報「MANO a MANO」の本問題及び解答を読解された事を自己研修と見做し、1年につき2単位(5年間で10単位)を獲得できます。毎月、自分の知識を見直し、日々の療養指導にお役立てください。(「問題」は、過去のLCDE認定試験に出題されたものより選出、一部改変しております。)問題 心理的に困難な状態にある患者への支援について正しいのはどれか、2つ選べ。 (答えは3ページにあります。)1.悲嘆のプロセスのショック期では、現状や事実がどう認識されているかを明らかにする2.悲嘆のプロセスの悲嘆期は事実を受け入れられない時期である3.悲嘆のプロセスの悲嘆期には自殺念慮に注意が必要である4.悲嘆のプロセスは、正常な適応過程とは言えない5.2型糖尿病患者では、半数が「憂うつになった」と回答しているこの文章を書こうとした4月1日あたらしい元号が決定された。「令和」とはまた随分しゃれた元号と思い、個人的には気に入っている。Reiwaという音の良さがまず印象的だった。Reiは玲、鈴など「リング」のきらびやかな音を連想させる。万葉集巻五の梅花の序から「初春令月、気淑風和」からとられたという。令月は2月のことだが、素晴らしい月という意味もある。和書に求めたというのが素敵だし、めでたい名前であるが、Reiwaという音の響きがまったく古臭くない。ヒットと思う。この歌を大伴旅人が詠んだのは、天平2年(730年)ということなので、政争が絶えなかった奈良時代前期のことだ。平城京が都だったが、難波京が副都として機能していたし、奈良時代の74年間でも聖武天皇によって、恭仁京、紫香楽宮、難波宮と遷都している。どろどろとした権力闘争の大変な時代だったし、また大伴旅人自身も権力闘争から大宰府に左遷された。そして「梅を愛でながら正月13日の宴会で詠った」その年の11月に大納言で勇躍、帰京する。そういえば以前出張時に大宰府に行ったとき、かの資料館で梅の宴の人形ジオラマを見たことを思い出した。百済からの帰化人がたくさん来朝し、先進的な文化が伝来、また興福寺八部衆(阿修羅像が有名だ)や十大弟子のような優れた脱乾漆の仏像を光明皇后のもとでの仏師集団が制作したのも同時代だ。先進文化を吸収しつつ、次第に日本らしい文化を築き上げた時代ともいえる。歴史は脈々と続いていくし、元号で時代が変わることは本来ありえないが、日本人では「元号」で歴史を区切るのも、まあ仕方ないだろう。平成の30年間を振り返ると患者の権利は大きくなったし、医師・医療者―患者関係もより平等に、お互いを尊重するようになったと思う。糖尿病の医療でいえば、平成の初めには糖尿病薬はスルホニル尿素薬しかなかった。グルコバイ(初のαGI)の発売は、1993年(平成4年)を待たなければならない、インスリンはやっとヒトインスリンが普及してきたころで、ノボペンは前年の1988年(昭和63年)に上市されていたが、当時ペンニードルは27G12.5mmと今の34G4㎜とはくらべものにならなかったし、持効型はなく、モノタードやNPHなどの中間型や混合型を使用していた。ノボペン用製剤もペンフィルR150単位のみで、中間型、混合型はすべてバイアルでプラスチパックなどの使い捨て注射器を使用していた。ノボペン300は1998年(平成10年)、ヒューマログの発売は2001年(平成13年)を待つことになる。スタチンのメバロチンはこの1989年(平成元年)に発売が開始される。ARBのニューロタンもまた1993年(平成4年)を待たなければならなかった。こうしてみると30年前に私はどんな糖尿病の医療を行っていたかを考えると、あまりに「原始的」でちょっと背筋が寒くなる。と同時に令和30年の医療は想像もできないほど進んでいるかもしれない。ITがどこまで応用されているか、新薬がどの程度できているかを考えると未来は明るい気がしてくる。その時までに日本国が財政破綻せず、国民皆保険がしっかり機能していることを祈念せざるをえない。